Friday, November 06, 2015

顔の無い日常

東京で一人暮らしの生活は厳しかった。言い訳にしかすぎないかもしれないが当時、学歴が高校中退して通信学校に編入をしていた私は、面接に何度も落ち東京の生活を諦めた。そして地元の古河市に帰ってきました。東京で一緒にNUANCEというイベントをやっていたユーテラスというラップグループのメンバーと連絡を取り、spickと吉村という看護士の仕事をやっている友達とご飯を食べに早速行きました。その時にspickが「いんもさん!!合法ハーブっていうのがあるけど吸う?」って話題をふってきた。合法は昔キノコとかやった経験があり、名前もナチュラルだから問題無いだろうとその時は思った。 そしてそれから一週間ぐらいたってからか、看護士の仕事をやっている吉村から電話がかかって来た。「いんも!!合法ハーブあるんだけどさ9Dとみんなでキメようぜ!!」そして9Dの家に遊びに行きました。馬鹿だった俺は回し吸いにのってしまった。今思い出すと二人ともオーバーなリアクションで吸っていた。肺に入れていなかったのだ・・・  それからは音楽の趣味が合うのでよく9Dと会うようになった。元々ラッパーだったspickが凄い成長速度でトラックを作れるようになっていたのも彼が教えていたからだ。東京で俺のイベントNUANCEでspickがソロでライブやった時使ったトラックが9Dが制作したものである事にも驚いた。そんなのが二つぐらいあった・・・それから少したってニュースで合法ハーブが危ないものだと知ってからは手は出さなかった。 それからかなり月日が流れ、これから本格的に音楽活動を始めようと思い、spickのツイッターをフォローした。そしてみんなピースにフォロー返すと思ったら、俺だけ返さない!!そして9Dのアカウントが二つ増えていた事がむかついて、電話で「おまえ9Dにほとんどトラックメイキングやレコーディングを教わってて楽して音楽やって、なんで俺だけフォロー返さないんだ!!DISるぞって電話で話したらフォローをすぐに返した。」 それから一週間ぐらいがたち9Dとメールでやり取りをして、「今ツタヤに居てさみたい映画が貸し出し中だよ!!サンレコ今月の面白いぞO.N.Oのライブの機材についてだよ。」みたいな感じで9Dが「ゴダールでしょ?俺持ってるよ!!」って言って「おまえ俺ビートニクとか貸してるんだから貸してくれよ」ってやり取りをして9Dの家に行った。そしてギターとラップでセッションをした後9Dに出されたお茶を飲んだら具合が悪くなった。 それから警察に通報とかしたが証拠不十分になってしまった。それから記憶がかなり飛ぶようになって、仕事が厳しくなってしまった。精神的に病んでしまって家で自殺をする事を考えた。全部自分のまいた種だ!!もう終わりで良いって思った。そして包丁で左の手首を思いっきり刺した。血がどば〜っと出た。その後左胸の心臓をめがけて包丁をつきさした。凄い苦しみが起こって終わりだって思った。それから死んだぞーみたいなノリで二階の窓から外に飛び降りた。そして倒れているところを近所のおばさんが見つけて救急車で病院に運ばれた。 病院に入院をして昔の東京の友達にメールをした。RUTAや一緒に曲をやっているのりお、坪田さん、RezBopみんな心配してくれて、やっぱり音楽を続けて行きたいってそういう気持ちになった。 退院してラップの曲を歌ったら歌詞が飛ばなかった。ライブ出来るな〜って思った。今後は自分で主催してイベントやって歌うつもりだ。だって生きていたし、回復もしてきたんだもん!!病院でカウンセラーの人と話して障害者手帳を作ったほうが良いって言われたときは暗闇だったが、今リハビリを続けて手帳が出ないまでに回復をしたのだ。 後々知った合法ハーブの後遺症は脳細胞破壊だった。可塑性で残っている細胞が死んだ細胞の代わりになるってネットで調べて知って、すぐ対策を考えた。イチョウ葉エキスというのが脳の血行を良くして海馬を活性化するというのを知って早速通販で頼んで飲み始めた。少しずつでも自分を取り戻して生きていこうと思う!!

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